叔父さんのお通夜

日曜日は叔父さんのお通夜に参列するため実家に帰りました。実家は新幹線で1時間半くらいです。行く前は少し面倒な気持ちもありましたが、参列してよかったです。叔父さんは享年74歳でした。肝細胞がんで3年間闘病していました。平均寿命からすると少し早かったかもしれません。7月にokuhoのこどもの内祝いへの御礼の電話をもらいました。今思えば最後と思って電話をかけてきてくれたんだと思います。電話をもらった時には末期がんであることは知っていました。でも電話口ではとても元気だったので、あと3か月とは思いませんでした。

お通夜には、久しぶりに会ういとこも来ていました。こどものころは、夏休みや冬休みに一緒によく遊んでいました。みんな元気そうで温かい気持ちになりました。

お坊さんのあいさつがありました。残念ながらお亡くなりになりました、この世は四苦八苦です、無常ですといったお話でした。そういった話は悲しみの渦中にいる遺族にとっては慰めになるのかもしれません。okuhoも以前はお坊さんの言うように思っていました。でも、今はすこし考え方が変わりました。物事の良い面だけを見ようと考えています。亡くなったことは残念かもしれません。しかし、これまで精いっぱい生きてこられたことは素晴らしいことだと思います。物事は良い悪い表裏一体であり、あるのは見る人の見方だと考えています。もちろん悪い面を見て備えるということは必要ですが、okuhoはどちらかといえば悲観的なので、良い面のみを見るくらいがちょうどいいのだと思います。

久しぶりに母親と昼食を一緒に食べ、話しました。母親は共感性が高い人だと思います。人の悲しみにも心を揺さぶられやすいです。飼っていた愛犬にも家族の中で一番深い愛情を注いでいました。どちらかというと物事の悪い面を見がちです。関西にいる叔父さんの娘が2人のこどもを連れて4月から実家に帰ってきました。母親曰く、叔父さんとしてはもっと早く帰ってきて欲しかった、とのことです。でも最後の半年間、娘と孫と一緒に暮らせて叔父さんは幸せだったと思うのです。それでいいのではないでしょうか。たぶんokuhoは基本的には母親に似ているのだと思います。そういうところが嫌だと思っていたんだと気づきました。でも今は変わりました。物事の良い面を見るようにします。

帰りの新幹線は財務省のエリート官僚のいとこと話しながら帰りました。麻生さんに随行して海外出張していたとのこと。麻生さんは各種アジェンダへの理解が深く殆どレクチャー不要、海外の首脳とも対等に話せる凄い人だと言っていました。