確固たる自分という幻想を断捨離
ミッドライフクライシスになるのは、30代の半ばを過ぎて、会社人生の先が見えたり、体力が衰えたりと、人生がある意味で下り坂になるから。それなのに変わらず坂の上の雲を見てしまうから苦しいんです。
10代、20代ならば、確固たる自分探しも成長につながるから良いのですが、30代半ば以降でそれを続けるのは結構しんどいです。
なぜなら確固たる自分なんてものはどこを探しても無いから。
古くは仏教の龍樹が色即是空といい、最近は量子物理学者カルロロベリが世界は関係でできているという本で、この世は関係の網が先立ち、実体とはその結び目に過ぎないと書いています。要は自分というものは相手との関係性においてのみ立ち上がってくるものであるということ。
確固たる自分から解放された方が自由に楽しく生きることができます。
それに価値観なんて変わるもの。壊してまた新しく作れば良いのです。
それにはまず古い殻を脱ぎ捨てることが必要。
モノを捨てていくと、古い価値観から解放され、楽になります。
ミッドライフクライシスからの脱出
ミッドライフクライシスから抜け出すには、徹底的に捨てることです。
モノも価値観もすべて。
価値観を捨てるのは簡単ではありません。
ですから、モノを捨てるという具体的な行動をとるのです。
モノを捨てる過程で、不要な価値観が削がれていきます。
不要なプライド、将来の不安、失敗した過去、輝かしい過去さえも、全て要らない。
それらがモノにこびりついていて、自分をぎゅうぎゅうに圧迫してくるから呼吸ができずに苦しいんです。
捨てることで今に集中できるのだ、と感じています。
深呼吸が必要なんです。
本年もよろしくお願いいたしますを断捨離
会社生活において変だなと感じる慣習の一つが、職場での年末年始の挨拶です。
年末に、本年もお世話になりました。
年始に、本年もよろしく、というやつです。
単に年が変わるだけ、4日程度休みを挟んでこの仰々しい挨拶をする意味がわかりません。別に世話してないしされてもいないですし。
今は自分からはしないですね。さすがに言われたら返しますけど。。。
スーツを断捨離
新入社員の頃にオーダーしたスーツを断捨離しました。
取引先の百貨店への営業協力で、5万円と当時の自分にはかなり高いスーツでした。
気に入ってたのですが、カジュアル化でかっちりしたボックスシルエットのスーツは着なくなり、数年しまったままでした。
捨てるか捨てないか、断捨離をはじめて以降ずっと考えてました。服には思いが込もるので捨て難かったのですが、今後果たして重要なプレゼンで着たいか、を自問し、サヨナラすることにしました。
いま非常に良い気分です。心が何にも囚われておらず、軽い。
歎異抄
歎異抄を読みました。
多くのひとは迷いの世に生きる煩悩を捨てられない凡夫であること。そんな凡夫が密教の苦行を達成して悟りを開くことは不可能であること。凡夫が救われるには、念仏をとなえ、あの世で阿弥陀仏の力により悟りを開き、輪廻から解脱する易行の道しかないこと。
がかかれています。
親鸞には、宿業の運命的側面、つまり今苦しんでいるのは前世からの因縁によるものであるという仏教的事実はどうでもよかった。
そうではなく、なぜここに生まれたのかという自分の意志を超越した理由のないはじまり、生と死の矛盾によりひとは傷つき苦しんでいる、というひとに内在する事実にフォーカスし、これを救おうとしたのでした。難解な悪人正機もなんとなーくわかりました。